Column

なぜ、私はすき家のまぐろたたき丼が好きなのか?

偏愛探求 第1回 ・ 2026年7月25日

本当に好きなものやことについて、真面目に言語化してみることにした。コラム形式にしようと思う。売れているものでも、話題のものでもなく、自分が本当に心の奥底から好きなもの。何を最初に取り上げるかは、ほとんど迷わなかった。本当に好きなものというのは、考えるまでもなく決まっているものらしい。

好きな食べ物は何かと聞かれたら、真っ先に浮かぶものがある。すき家のまぐろたたき丼だ。牛丼チェーンの看板メニューを差し置いて、いつもまぐろたたき丼を選んでしまう。出合いからもう17年になるのに、この気持ちは変わらない。

牛丼の店でまぐろを食べる人間は、たぶん少数派だろう。ただ、少数派であることは、好きであることの障害にはならない。私にとってすき家は「まぐろたたき丼の店」であり、牛丼はその次に来る。序列が、17年かけて自分の中にできあがっている。

改めて、ふと考えた。なぜ、私はすき家のまぐろたたき丼がこれほど好きなのか。思い出補正なのか、味そのものなのか、それとも別の何かなのか。良い機会なので、真面目に分析する。

出合いは社会人1年目のすき家幕張本郷店

初めて食べたのは社会人1年目の2009年、すき家の幕張本郷店だった。配属されたばかりのSEで、毎日ひたすらテストをして、終電で帰宅する日々。覚えることは山ほどあるのに、自分にできることはまだ少ない。そういう時期特有の余裕のなさの中にいた。そんなある夜、ふらりと入ったすき家のメニューで見つけたのが、まぐろたたき丼だった。

もともとまぐろのたたきは大好物だった。ただ、それはスーパーで買って食べたり、回転寿司に行ったときに食べたりというものだった。それが牛丼と同じ気軽さで、日常的に食べられる。これは発見だった。しかも、後戻りのできない種類の発見である。知ってしまった以上、知らなかった頃には戻れない。好物が「ごちそう」の棚から「日常」の棚に移った瞬間だった。

そこから、金曜日の過ごし方が一つの型になった。金曜日の夜は、同期とすき家でたらふくまぐろたたき丼を食べて、キャンパスナイトフジを観る。今回改めて調べてみたら、キャンパスナイトフジは2009年4月に始まった金曜深夜の生放送番組だった。つまり、私が社会人になった春に始まり、社会人1年目の金曜日と並走していた番組ということになる。どうりで、まぐろたたき丼とセットで記憶に焼きついているわけだ。

一週間のテストをやりきって、同期と丼をかき込み、深夜のテレビを観て笑う。今思えば、なんてことのない過ごし方だが、あの頃の一週間はあの金曜日のためにあった。金曜日のすき家のまぐろたたき丼とキャンパスナイトフジのためにあった。

証拠もある。このコラムを書くにあたって、当時のTwitter(現X)のログを掘り返してみた。

すき家の公式アカウントに、こんなリプライまで送っていた。

週5。当時の私は週5で通い、まぐろたたき丼大盛に豚汁サラダセットを付けるのを「いつもの」と呼んでいた。

ログには、事件の記録も残っていた。2009年の冬、すき家が牛丼祭りを開催し、まぐろたたき丼がメニューから消えた。

祭りが明けると、日付が変わった直後の深夜0時台に復活を祝っている。

年末には品切れの夜に憤り、

翌朝にはリベンジを果たしていた。

記憶にあった「金曜の楽しみ」どころではない。思い出補正を疑っていたが、ログを見る限り、当時から本気だった。

丼として設計が美しい

この丼は完成度が高い、と考えている。

まず、フォルムだ。まぐろのたたきが、円盤の形でご飯の上に鎮座している。フリスビーのような、きれいな円盤。まぐろのたたきといえば、刺身のように切られているか、丼に山盛りになっているのが普通で、この形で出てくる丼を、私は他に知らない。他では味わえないこのフォルムが、まぐろたたき丼をただの海鮮丼ではなく「すき家のまぐろたたき丼」として際立たせている。蓋を開けると、白い飯の中央に赤い円盤がある。ほとんど幾何学である。食べものの見た目の美しさは、味の予告でもある。だから、私はXで「すき家の円盤丼」と呼んでいる。

次に、温度の対比。ほかほかのご飯の上に、冷たいまぐろのたたきが載っている。熱いものと冷たいものが一つの丼に同居していて、口に入れると両方が同時に来る。この温度差が、食べ進める間ずっと続く。考えてみれば、寿司は酢飯の温度にまぐろを寄せて完成させる料理だ。対して、この丼は温度差を埋めずにそのまま食べさせる。同じ「まぐろと飯」でも、設計思想がまるで違う。

そして、その二つの間にのりがある。のりはただの薬味ではなく、ほかほかのご飯と冷たいまぐろを分離する層として機能している。ご飯の熱がまぐろに直に伝わらない。冷たいものは冷たいまま、熱いものは熱いまま、口の中で初めて合流する。この構造に気づいたとき、実によくできている、と唸った。

熱いご飯、のりの層、冷たい円盤。断面を想像してもらいたい。構造が美しい。美しいものは、だいたい層になっている。

カスタムの余白と、裏切らない安定感

私は海鮮だれ抜き派だ。注文のときに「海鮮だれ抜きで」と一言添える。あるいは最近は、注文用のタブレットの「こだわり注文」から、海鮮だれ抜きを選ぶこともできる。まぐろとご飯とのり、素材の構成だけで食べるのが好みだからだ。

こういうカスタムができる余白も、この丼の魅力だと思う。たれを付けるか抜くか、わさびをどう使うか、しょうゆをどう回しかけるか。同じ丼を頼んでいても、人によって食べ方の正解が違う。自分の正解を持てる丼は、通い続けるほど自分の丼になっていく。「海鮮だれ抜き」は、17年かけてたどり着いた私の正解だ。

もう一つ、現実的な魅力も挙げたい。手ごろな値段でたんぱく質がしっかりとれることだ。外食は栄養が偏りがちだが、この丼は食べたあとの罪悪感がない。罪悪感のない外食は、思いのほか貴重だ。

そして何より、いつも安定してうまい。どの店舗で食べても、いつ食べても、期待した通りの味が出てくる。何度食べても、期待を下回らない。上回る日は、たまにある。リスクがなく、リターンだけがある。そんな上手い話は普通はないのだが、ここにはある。日常的に食べるものにとって、この裏切らなさは味の一部だと思う。

SEを17年やっていると、「安定して同じ品質を出し続ける」ことがどれだけ難しいか、身に染みて分かる。システムは放っておくと壊れるし、同じ手順のつもりでも、人のやることは毎回微妙に揺れる。それなのに、まぐろの円盤は、全国どの店舗でも同じ味で出てくる。仕入れから盛り付けまでを支える仕組みを想像すると、品質を仕事にしてきた身として敬意すら覚える。

ちなみに、2010年1月の私はこう投稿していた。

17年前から、結論は変わっていない。

答え

分析してみて分かった。私がすき家のまぐろたたき丼を好きな理由は、一つではなく三層になっている。

一つ目は、丼そのものの設計。他では味わえない円盤のフォルムと、のりの層が支える温度の対比。二つ目は、日常への収まりのよさ。自分の正解にカスタムできて、手ごろにたんぱく質がとれて、いつも安定してうまい。三つ目は、記憶。社会人1年目の終電続きの日々に、金曜日の楽しみとしてそばにいてくれたこと。

つまり、「なぜ、私はすき家のまぐろたたき丼が好きなのか?」という質問への回答は、「美しい設計と、日常への収まりのよさと、金曜日の記憶が、一杯の丼に層になって重なっているから」だ。

ほかほかのご飯と冷たいまぐろの間にのりの層があるように、この丼と私の間には17年分の記憶の層がある。だから今日も、すき家に入ると牛丼ではなくまぐろたたき丼を頼んでしまう。

好きなものを分析するのは野暮だと思っていたが、やってみると逆だった。理由が言葉になった分だけ、次の一杯が楽しみになった。好きの理由を知っても、好きは減らない。むしろ、少し増える。たぶん、そういうものである。

おまけ: 4枚揃った

ところで、私は今もこの丼の写真を撮り続けている。4杯分の写真が揃うたびに、「4枚揃った」と題してXに投稿する。ただそれだけのシリーズだ。

そして、このコラムを書いている今日、その「4枚揃った」が4枚揃った。2年がかりで16杯。総集編として投稿した。

次の目標は決まっている。「4枚揃った」が4枚揃ったのを、さらに4枚揃えることだ。計算すると、丼64杯。何年かかるかは分からない。ただ、17年続いた好きに期限はない。ここに宣言して、コラムの第一弾を締めることにする。

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