Column

率先垂範

第2回 ・ 2026年8月6日

言葉の資産集に「率先垂範」という言葉を置いている。リーダーの条件を一語で言え、と問われたら、私はこれを選ぶ。

辞書をたどると、率先は『史記』、垂範は『宋書』に由来するとされる。二つの古典から一語ずつ持ち寄った合成語で、意味は「人の先頭に立って行動し、手本を示すこと」。二千年前から、リーダーの定義は変わっていないらしい。

ただ、私にとってこの言葉の源流は、古典ではない。ある上司である。

怒りの8箇条

昔、自分の上に立つ人が、まったく自分で調整をせず、決断もしない時期があった。方針は出ない。それでも仕事は降ってくる。あの頃の私は、相当に怒っていた。そして、怒りにまかせて、この言葉を箇条書きに整理した。2019年の春、深夜のツイートである。

投稿には、続きがあった。1分後、自分にリプライを重ねている。

さらに数分のあいだに「目的がわからない指示の出し方をする」「決断を先送りにする」と付け足して、締めて11箇条。よほど腹に据えかねていたのだと思う。

7年前の自分の投稿を発掘して、読み返した。怒りが、そのまま残っていた。しかし、いま読むと気づくことがある。この11の「ない」は、裏返すとそのまま、リーダーの仕事の定義になっているのだ。方針を出す。計画を作る。枠組みとサンプルを示す。文字で指示する。具体で語る。次のアクションを明確にする。決断を先送りにしない。そして、当時の自分が「1番は」と書いたとおり、その全部の底に信念を置く。方針も、決断も、先頭に立つ足も、信念の上にしか載らない。反面教師というのは、最悪の教材のようでいて、実は最高の教材である。何をすべきかは、できていない人が一番はっきり教えてくれる。

怒りが、役目に変わる

その半年後の投稿も見つけた。

半年で、言葉の向きが変わっている。春には他人への怒りだったものが、秋には自分の役割の定義になっている。誰かを批判するための物差しは、使っているうちに、自分を測る物差しに変わる。言葉というのは、そういう危険な道具である。人に向けて研いだ刃は、最後は必ず自分に向く。

ホワイトボードの前で

いまの私は、トラブル対応やレビュー対応で陣頭指揮を取る立場にいる。先日も、20人規模でホワイトボードの前に集まり、喧々囂々の議論をした。お客様がいる日もあれば、プロジェクトメンバーだけの日もある。そういう場で私がやっていることは、結局、あの11箇条の裏返しだ。方針を書く。枠を書く。次のアクションを書く。口頭で済ませず、ホワイトボードに残す。

うまくできている、と言い切るつもりはない。11箇条は、いまも自分への問いとして機能している。今日の自分は方針を出したか。具体で語ったか。決断を先送りにしなかったか。7年前の怒れる自分が、いまの自分の検品係をやってくれている。

基本、と言い切るまで

発掘した中で、一番新しいものはこれだった。

2019年に11行あった怒りが、2023年には一行になっている。説明も、箇条書きも、もう要らない。怒りから始まった言葉が、7年かけて、ただの基本になった。言葉が自分に染み込むというのは、たぶん、文が短くなっていくことなのだと思う。

言葉の源流をたどると、古典より手前に、自分の現場がある。率先垂範の源流は『史記』でも『宋書』でもなく、あの日、方針の出ない現場で怒っていた深夜の自分である。あなたの大事にしている言葉にも、きっと、生まれた現場がある。


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