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なぜ、私はサガン鳥栖が好きなのか?

偏愛探求 第2回 ・ 2026年7月30日

偏愛探求の第2回である。今回はクラブの話をする。好きなサッカークラブはどこかと聞かれたら、考えるより先に答えが出る。サガン鳥栖である。即答できる質問には、たいてい長い歴史がある。

私は福岡県久留米市で育った。アビスパ福岡を応援すると思われがちだ。それなのに、私が好きになったのは県境を越えた佐賀県のクラブだった。しかも、30年近く続いている。

なぜ、私はサガン鳥栖が好きなのか。良い機会なので、真面目に分析する。

出合いは「対戦相手」だった

私は小学生の頃、荒木FCというチームでサッカーをしていた。ごく普通の少年サッカーチームである。

荒木FCで、サガン鳥栖の下部組織と対戦したことがある。しかも、場所は鳥栖スタジアム。今の駅前不動産スタジアムだ。プロが試合をするスタジアムのピッチに、小学生の自分が立つ。足が浮つくうえに、目の前に並んだのは、同世代とは思えないサガンブルーのチームだった。当時のユニフォームは、今の水色より濃い青だった。

結果は、0-2の敗戦(だったはず)。スコア以上の、完敗だった。同じ小学生なのに、止める、蹴る、走る、全部が違う。あの日、私はサガンブルーに負けた。公式戦で刻まれた0-2は、30年経っても消えていない。少年の敗北は、大人が思うより長持ちする。人は勝てた相手を忘れ、勝てなかった相手を覚えている。サガン鳥栖のブルーは、そうやって憧れになった。

電車で行ける「プロの世界」

もう一つ、地理の話をしたい。サガン鳥栖のスタジアムは、JR鳥栖駅のすぐそばにある。駅を出ると、目の前にスタジアムがそびえている。国内屈指の駅近スタジアムだと思う。

久留米からは、電車でわずかの距離だ。小学生にとって「プロの世界」は普通、テレビの中にある。ところが私の場合、最寄駅から電車に乗れば、プロが戦うスタジアムに着いてしまう。ブラウン管の向こう側だったはずの世界が、日常の延長線上にあった。

憧れには適切な距離があるらしい。遠すぎる憧れは風景になり、近すぎる憧れは日常に埋もれる。電車で数駅というのは、憧れが自分事になる、ちょうどいい距離だったと思う。

久留米の同学年には、プロが2人いた

当時の久留米のサッカー熱を示す事実がある。同学年の久留米市内から、のちにプロが2人出た。

一人は南FCにいた城後寿選手。アビスパ福岡一筋で戦い続け、キング、バンディエラと呼ばれる存在だ。もう一人はリトルキッカーズにいた野田紘史さん。浦和レッズなど6つのクラブで13年間プロとして戦った。荒木FC、南FC、リトルキッカーズ。同じ市内の少年団で、同じ頃に、同じようにボールを蹴っていた。

城後選手と野田さんは、同じ街の同じ年の子どもながら、あちら側へ行った。プロになるのは努力の延長に見えて、どこかに一枚、越えられない壁がある。近くでボールを蹴っていた人間ほど、壁の存在がよく見える。だから、私が2人に抱いてきたのは、嫉妬ではなく畏敬である。天才がいると知った者は、サッカーを続ける理由を失う代わりに、サッカーを見続ける理由を手に入れる。観る側として生きると決めた私の視線の先には、いつもサガンブルーがいた。

なぜ、アビスパ福岡ではなくサガン鳥栖なのか

ここまでの話なら、まだ「地元が近かったから」で説明がつく。それなら、同じ福岡県のアビスパ福岡でもよかったはずだ。私を30年捕まえて離さないのは、サガン鳥栖というクラブの生き様である。

第一に、逆境に負けない。サガン鳥栖の歴史は、順風満帆とは程遠い。経営危機も、主力の流出も、何度も経験している。それでも、鳥栖は消えなかった。それどころか、予算規模はリーグでも下位の側なのに、J1から10年以上落ちなかった。お金で説明できない結果を、走って出し続けた。倒れそうになりながら立ち続ける姿が、私を離さない。

第二に、走り続ける。鳥栖の土台は、いつの時代も運動量だ。技術で上回れないなら、走る。強豪が相手でも、最後の1分まで走る。最近はボールを握るサッカーを志向し、走力の上にポゼッションまで積み始めている。持たざる者が持てる者とどう戦うか。その答えを走る姿で見せてくれるから、目が離せない。

第三に、走りは最後に報われる。サポーターには「トスタイム」という言葉がある。ロスタイムの劇的なゴールがあまりに多く、鳥栖とロスタイムを掛けた呼び名だ。90分間走り続けたチームだけが、最後の数分に魔法を起こせる。トスタイムは奇跡ではなく、走行距離の後払いなのだ。努力が報われる瞬間を、何度もこの目で見た。あれで好きにならないほうが難しい。

そして、第四に育成のチーム。鳥栖のピッチには、ユース出身の選手が多く立つ。下部組織で育った子が、水色を着てプロのピッチに立つ。あの日、小学生の私を0-2で負かしたブルーの系譜は、色合いを変えながら、今もクラブの中心で受け継がれている。育った選手は、やがていろんなクラブへ羽ばたいていく。おかげで、どの対戦相手にも元鳥栖の選手がいて、どのカードを見ても飽きない。育成のチームを好きになると、Jリーグ全体に知っている選手が増えていく。

だから、私はXで「#元鳥栖戦士応援団」というタグを育てている。元鳥栖の選手の新天地での活躍を見つけては、投稿する。移籍は別れではなく、応援する範囲が広がることなのだと、タグを付けるたびに思う。

こうして、並べてみて気づいたことがある。逆境に負けず、走り続け、最後まで諦めず、積み上げ、人を育てる。私がサガン鳥栖に惹かれてきた理由は、そのまま、自分がこうありたいと願う生き方の一覧になっている。

答え

ここで、クラブ名の話をしたい。「サガン」という言葉は、砂岩に由来する。砂粒が固まって砂岩になるように、小さな力を結集させて立ち向かう。願いの込められた名前だ。佐賀弁で「佐賀の」を意味する「佐賀ん」にも掛かっている。

改めて考えると、これほど正確な名前もない。予算の小さなクラブが、走力を集め、ユースの子どもたちを集め、サポーターの声を集めて、大きな相手に立ち向かってきた。一粒一粒は砂でも、固まれば岩になる。名は体を表すというが、順序は逆かもしれない。体が30年かけて、名に追いついたのである。

そして、気づく。私の「好き」も、同じ成り立ちをしている。0-2で負けた日の悔しさ、駅を降りたら見えるスタジアム、同学年のプロたち、トスタイムの絶叫、元鳥栖戦士を見つけた日の投稿。一粒ずつは小さな砂でも、30年かけて積もり、固まって、もう崩れない岩になった。

「なぜ、私はサガン鳥栖が好きなのか?」への回答は、こうなる。「小さな記憶の粒が、砂岩のように30年かけて固まっているから」だ。まぐろたたき丼の好きが層でできていたように、鳥栖の好きは砂岩でできている。どうやら私は、時間をかけて固まった好きに弱いらしい。

今の私は、毎日のようにXで鳥栖のことを書いている。0-2で負けたあの小学生は、30年近く経った今も、サガンブルーを追いかけたままだ。色は変わっても、追いかける先は変わらない。そして、8/8(土)に駅前不動産スタジアムで26/27シーズンが開幕する。またあの駅近のスタジアムに、憧れの続きを見に行ける。

好きの理由を分析しても、好きは減らない。むしろ、開幕が少し待ち遠しくなった。たぶん、そういうものである。

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