問いは一つ。今まで出会って、直接話したことがある人の中で、最もオーラがあった人は誰か。
答えはすぐに出た。高校生のときに会った、宇宙飛行士の毛利衛さんだ。
残っているのは、三つだけ
高校三年生だった。久留米の福岡県青少年科学館に毛利さんが来ると聞き、無線部の仲間と会いに行った。
覚えていることは、三つしかない。秘書の方が付いていて、この人には秘書がいるのだと思ったこと。二十分ほど話せたこと。最後に、無線部の全員で写真を撮ったこと。
何を話したかは、正直に言って覚えていない。二十年以上前のことで、話の中身は抜け落ちた。残っているのは、目の前に立っている人が神々しかった、という感覚だけだ。
宇宙に行った人だから、か
毛利さんは、1992年にスペースシャトル・エンデバー号で宇宙へ行った。日本人の科学者として初めてだった。2000年にもう一度飛び、その年の秋から日本科学未来館の初代館長を務めている。高校生の自分が会ったのは、館長になってから数年後のことになる。
宇宙に行った人が、目の前にいる。その事実が先にあって、こちらの目がそれに引っ張られた。これは間違いない。
ただ、それだけでは説明が足りない。肩書きだけなら、有名な人に会えば誰でもオーラを感じることになる。そうはならなかった。あれから仕事で、肩書きの大きな人には何人も会った。毛利さんを超える人は、一人もいない。
言葉が消えて、感覚だけが残った
引っかかるのは、記憶の残り方だ。話の中身は消えた。相手の肩書きは、会う前から知っていた。それなのに、二十分の間に生まれた感覚だけが、二十年たっても消えない。
肩書きは知識で、会う前に頭に入る。神々しさは、会っている間に体で受け取ったものだ。同じ場所に立ち、同じ空気を吸い、質問に返事をもらう。その二十分で受け取ったものは、話の内容とは別の場所に保存されたのだと思う。
だから、言葉は忘れても感覚は残る。順番が逆ではない。感覚のほうが先に刻まれ、言葉は後から消えた。
無線部だったこと
もう一つ、当時は気づかなかった線がある。
毛利さんは1992年の飛行で、アマチュア無線を使って船内から日本の子どもたちと交信している。宇宙と地上を無線でつないだ、最初の日本人だ。無線部の高校生が会いに行った相手は、自分たちの部活の延長線上に、宇宙を置いた人だった。
当時の自分がそれを知っていたかは、覚えていない。ただ、今になって思えば、あの神々しさには「絶対に届かない遠さ」と「自分たちと地続きの近さ」が同時にあった。神社で手を合わせるときの感覚に近い。届かない。でも、つながっている。
畏敬の念とは、その二つが重なったときに生まれるものなのだと思う。遠いだけなら憧れで終わる。近いだけなら親しみで終わる。遠くて近い人にだけ、手を合わせたくなる。
二十分で、何を渡せるか
問いを裏返してみる。自分は誰かに、そういう二十分を渡せているだろうか。
話の中身は、忘れられる。残るのは、その人が本気で何かをやってきた重さだけだ。毛利さんの場合、それは宇宙だった。自分の場合、それは現場しかない。
学びは、全部現場にある。オーラという言葉が指しているのは、たぶん、その人がくぐってきた現場の痕跡だ。肩書きではなく、痕跡。二十分で伝わるのは、そこだけだ。
昨日、その毛利さんが初代館長として作った日本科学未来館に立った。館内には、ノーベル賞受賞者が来館者に問いを投げかける展示がある。答えのない問いを、一人ずつに手渡す場所を、あの人は作っていた。
あなたが出会って話した中で、最もオーラがあった人は誰ですか。その人の何が、そう見せていましたか。
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